丙午を逆手にとって

コロナウイルスの感染が世界中で始まって、2年
私たちが暮らす千葉県南房総では、もともと下がり続けていた出生数が
この2年で、また、ドーンと下がりました
この勢いだと、今生まれる子供が50歳になるころには、本当に、この街はなくなっているんだろうなと、実感します


私自身は1966年、丙午(ひのえうま)という、出生数が極端に少ない年に生まれました
「丙午生まれの女性は気性が激しく夫を不幸にする」という迷信がありました
「丙午の男性・女性は配偶者を殺す」とか、
「よめ取りむこ取りに丙午生まれの人を避ける」などと言われてきました
結果として、男女の産み分けはできないので、1966年には出産自体を控える親が多くいたということです

60年で一回りする年回り、次の丙午は2026年、あと4年後
陰陽五行説を元にした「四柱推命(しちゅうすいめい)」では、丙午生まれの人は逆境に強く、行動力がありさっぱりとした性格で、自分にも他人にも厳しい面がありますが、勢いのある強運の持ち主だとされています
今や、ジェンダーレス、嫁だ婿だと言っている時代ではありません

「丙午生まれの女性はその行動力で成功する」

そんな迷信を今からSNSに流して、逆に出生数を上げる活動をしたいところです

粉骨 散骨 納骨 有限会社 三幸社

PLAN75

75歳になったら、自分の生き死にを、自分で決められるようになる
そんなストーリーの映画が、もうじき公開されます
まだ観ていませんので、何とも言えませんが、
世の中の受け止め方は、「そんなつらい社会にはならないでしょう」という感じのようです
でも、日々、粉骨や散骨に携わり、実際に死にざまが、いかに千差万別化を見ていると
「確実に、そんな社会が来るよね」と、感じます

話は変わりますが、
以前、近くの病院で開催した、オランダにおける安楽死を取り巻く状況、というセミナーに参加しました
オランダでは、「要請に基づく生命の終焉ならびに自殺融助法」という法律が、2001年に制定されています

この、オランダの状況を聞いて、まさに、目からうろこ、だったのは
安楽死の議論とは、いかに幸せに生きてきたか、が問われるということでした
安楽死の議論は、そのまま、クオリティー・オブ・ライフの議論、ということ
オランダの例で言えば、住民すべてに、家族づきあいに近いような、近しい存在のかかりつけ医が存在し(自分のかかりつけ医はこの医師、と、政府に届ける義務がある)その医師と相談し、例えば、癌が進んで、治療をしても、回復の可能性が少ない状況になったとき、自分は十分に幸せな人生を生きたから、つらくて展望のない治療で残りの人生を費やすより、家族に囲まれて、今、健やかに自分の命を終えたい、と、家庭医と相談して、安楽死(尊厳死)を決める、ということでした

オランダでも、最初に安楽死の議論が起きてから、法整備まで、30年近くかかっています
そのうえ、安楽死に対する概念、もっと言えば、生きている時間を、何のために、費やすか、という価値観が、日本とは大きく違うように思われました

死にざまは、生きざま

今後、日本でPLAN75のような安楽死の議論が起きるときには、財政負担減と、生活苦と、高齢化が混じりあって、また、まったく違う観点で、やるせないといえばやるせない、でも仕方がないといえば仕方がない、話から始まりそうな気がします
生きてきた過去、過ごしてきた過去、は変えられないので、日本独自の、宗教観や人生観、人生の価値や命の価値、家族の在り方や医療の体制に基づいて、独自の、考え方が求められてゆくことになります

どんな人にも訪れる死を、
その時、生きている人がどう捉え、どう扱うか

この映画が発端となって、議論が起き上がるのは賛成です

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行旅病人及行旅死亡人取扱法(明治三十二年三月二十八日) 第七条

身寄りがない、身寄りがあるけれど、ご遺体を引き取れない
あるいは、身寄りや知り合いが、葬儀を上げたいのだけれでも、お金をかけられない、というときには、
国や自治体の出番です
そして、国や自治体は、法律によって、動きます
この場合、以下の3つの法律が関係してきます

・行旅病人及行旅死亡人取扱法(明治三十二年三月二十八日) 第七条
・墓地埋葬法(昭和二十三年五月三十一日) 第九条
・生活保護法(昭和二十五年五月四日) 第十八条

根底にある法律は、明治32年制定の「行旅病人及行旅死亡人取扱法」で
第七条 行旅死亡人アルトキハ其ノ所在地市町村ハ其ノ状況相貌遺留物件其ノ他本人ノ認識ニ必要ナル事項ヲ記録シタル後其ノ死体ノ埋葬又ハ火葬ヲ為スベシ
とあり、その当時としては、もしかしたら珍しくなかった「行倒れ」を想定して作られた法律のようです
端的に言えば、旅先で亡くなった人があれば、その、亡くなった先の市町村が、遺留物や身元の確認をし、埋葬または火葬しなさい、とのこと 今のように、物流が発達していない時代、ひとまず、亡くなった方がいたら、そこで埋葬、火葬をしなさい、ということと思われます

その次に定められたのが、墓地埋葬法、昭和23年
第9条 死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長が、これを行わなければならない。
2 前項の規定により埋葬又は火葬を行つたときは、その費用に関しては、行旅病人及び行旅死亡人取扱法(明治32年法律第93号)の規定を準用する。
旅人に限らず、死体の埋葬、火葬を行うものがいないときは、行旅病人及び行旅死亡人取扱法に準じて、死亡地の市町村長が埋葬、火葬をしなさい、という中身
火垂るの墓、という映画でも見られるように、そこに住み着いていても、身寄りがわからない方がたくさんいて、旅人、行き倒れの範疇に入らない人も、たくさんお亡くなりになったのかもしれません

その後、生活保護法が昭和25年が定められ
第十八条 葬祭扶助は、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して、左に掲げる事項の範囲内において行われる。
一 検案
二 死体の運搬
三 火葬又は埋葬
四 納骨その他葬祭のために必要なもの
2 左に掲げる場合において、その葬祭を行う者があるときは、その者に対して、前項各号の葬祭扶助を行うことができる。
一 被保護者が死亡した場合において、その者の葬祭を行う扶養義務者がないとき。
二 死者に対しその葬祭を行う扶養義務者がない場合において、その遺留した金品で、葬祭を行うに必要な費用を満たすことのできないとき。
と書かれています
最初の「困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者」は、お亡くなりになった方ではなく、その方の葬儀を出すべき、扶養義務者が、困窮している、というケースを想定しているようで、だからこそ、わざわざ、「扶養義務者がないとき、に、その葬祭を行う者があるとき」とあります
いずれにしても、この法律は、お亡くなりになった方の、ご葬儀を出したいという人がいる場合、ということになります

この3個の法律を、現在の状況に当てはめると、こういうことのようです
亡くなった方の葬儀を出したい人がいない → 墓地埋葬法(行旅病人及び行旅死亡人取扱法を準用)
亡くなった方の葬儀を出すと「手を挙げる人」がいる → 生活保護法

今後の問題は、この二つのケースで、自治体の負担の仕方が違うこと、
「墓地埋葬法」適応の場合は費用全額地方自治体持ち
「生活保護法」適応であれば、国が3/4 自治体が1/4
手を挙げる、というのは、「自発的に」ということで、この自発的、が、これから、テーマになる気がします

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この先の未来

平成29年の時点で、生活保護受給者数は およそ214万人(約164万世帯)
およそ日本国民の50人に1人が生活保護を利用していることになり、この20年でおよそ2.5倍に増加しています
一方で、年間死亡者数は2040年まで増え続けると予測されています
「生活保護法」葬祭扶助適応の散骨ご依頼は、今でも一定数ありますが、今後、さらに増えてゆくことと思います

どんなご遺骨にも、その方が生きてきた生の営みがありました
財政に負担をなるべくかけず、シンプルでもしっかりとその生(せい)に寄り添って最期にかかわる誰かが、継続的に必要であり、三幸社は、細く長く、そこに関わってゆきたいと考えております

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約束された未来

ビジネスをしていると、マーケティングが大切だ、と言われます
マーケティングの本をいろいろ読むと、どの本にも、ドラッガーさんという方の言葉が出てきます

「人口動態は、約束された未来だ」

今、20歳の方が80万人いたら、10年後には、30歳の方が、80万人、になる
多少は減るけど、移民、難民でもやってこない限り、ドーンと増える事はない

日本で起こるべき、人口動態の変化は、すでに、全て起きました
出生数は昭和24年、1949年の269万人が最高で、その後、この方たちの子供が生まれた1970年ころ、200万人の人が生まれてもう一度山がありましたが、その後は、一次関数的に、減り続けています
死亡者数は昭和60年ころから、一次関数的に増え続けて、平成30年には、136万人の方が亡くなっています

生まれた人が減ってきているので、どこかの時点で、やがて亡くなる方も減り始めますが
人口動態の変化は、すでに起こってしまった事、
過去に戻って取り返す事が出来ないのが特徴
過去に戻って、もっと多くの子供を産む事は出来ないし
二十歳の一人の人を細胞分裂させて、二人にも分けられないわけです

未来は、見えています

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体はなくならない


祖母が亡くなった時、火葬場の煙突から昇る煙を見ながら
おばぁちゃん、煙になっちゃったね、空に昇って行くね、という叔母の言葉を
小学生の私は、煙を見あげながら聴いていました
人体は、主に炭素、水素、酸素で来ています
燃やせば、本当に、二酸化炭素や水蒸気になって、空に昇ってゆきます
その炭素や水素は、やがて、雨に含まれて地上や海水面に降り注ぎ
あるいは、植物による光合成で分解され、植物の体になります

魂や、心のことはよくわからないけど、人体は、無くならない
決してなくなることはなく、物質としての人体は、循環し、存在し続ける
高校の科学の授業を聴きながら、そんなイメージをしたのも、昭和の話です

体は、無くならない
循環する

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手漕ぎボートを漕ぐように

boat

「手漕ぎボートを漕ぐように
人は未来に入ってゆく」
フランスの詩人、ポール・ヴァレリー
在宅医療に従事する医師の友人から聴いた言葉です
人生とは、来し方を見据えながら、背中越しに、先へ進む、手漕ぎボートのようなもの

ゆだねる家族がいなくなる
脱家族化・脱共同体化
送ってきたようには、送られない
死をどう扱うか、周囲の大人がどのようにふるまうか
その学びや、体験が出来ない社会に、私たちはいます

自分が生きて、そして死を迎える人生は、
自分が送ってきた死者とどう生きるか、と、ひと続き、ということです
生きたその先に死がある、それは誰も、生きているうちに体験できることではなく、
自分が生きてきた、過去を見据えながら、背中越しに、その先へ進む、

しっかりと、来し方を見据えながら、進むしかありません

引き取り手のないお骨が

知り合いの葬儀社の方から聴いた話
「最近は、火葬が終わってから、お骨を引き取りに来ない、というケースが、増えてるんですよね」
直送、火葬のみ、の葬儀を受けて、ご遺体を火葬した後、施主様に連絡しても、ご遺骨を引き取りに来てくれない
勝手に埋めるわけにもいかないし、どうすることもできずに、この会社では、引き取り手のないお骨専用の倉庫を借りたそうです

自治体でも、同じようなことが起きているようで、昨年の雑誌で読んだ記事によると、例えば、大阪市では、2018には2366柱を市設の無縁堂に安置したそうですが、この数は、大阪市内で亡くなった人の8.3%にあたということで、遺骨を引き取る、生きている人がいないご遺体は、亡くなった方全体の12人に1人ということになります

こうなると、お骨を骨壺に入れて納める、スペースが、物理的に、足りなくなるということで、三幸社でも、粉骨してアルミの真空包装をに納めることで、容積を減らすご相談を承ることが増えてきました

とても切ないことですが、これが現実
やがては、お骨は海や山に還すほうが、自然、ということになるかもしれませんが
今は、容積を減らす、ことが重要課題
今、できることを、できる人がやる

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リン酸カルシウム

長年、有機農法で農業を営むおばが言いました
自分が死んだら、粉にして、畑にまいてほしい
燐酸カルシウムは普段から使っている肥料の成分だよ、と
自分の骨でいい野菜が育つなら、こんなにうれしい事はないよ、と

覚悟が決まってます

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不安の正体

高校生、大学生の子供を持つ友人たちと話をしていて、ふと
自分たちが若いころ、自分たちの親は、こんなに、将来に対して不安を持っていたのかね?
という話になりました
もってなかったでしょ、たぶん

40年前と比べて、どうして、こんなに、将来が不安なんでしょうか

時代劇を見ていると、悪代官と、越後屋が、おぬしも悪よのう、なんて言いながら、民のお金を搾取して
民は貧困にあえぎ、飢えて死ぬような世界が広がり
そこを、黄門様やら桃太郎侍やらが、ズバット解決したり、
一揆をおこして、ええじゃないかと踊ったり(これは劇じゃないけど)

今も、おぬしも悪よのう、みたいな人がたくさんいると仮定して、、、
民が搾取され明日食べるものもない、と困れば、
一揆なり、なんなりが起きるところですが、
今まで、飢えて死ぬ、人が数百万人、ということにはなっていません(今のところは)
その違いは何か

政治家は、何十年も前に、搾取しても、文句を言わない相手を見つけたからです
それは未来の日本人
1975年あたりから、債権という名で、どんどん、未来の日本人から搾取して、入ってくるお金以上にお金を使って、そのうちのいくばくか、あるいは多くを、ぬふふふふ、おぬしもやるのう、、、なんて感じで、仲間内で懐に?
その未来が、今です

kokusaihakkou

人間にも野生の本能が残っていて、この先に厳しい世界が待っていると、直感で感じて、
だから、結婚しない、子供がいない社会が始まり
人がいないから、家という概念や、地域のつながりが弱まり、
送ったようには送られない
ご遺体が行き惑う社会が、はじまったような気がします

粉骨 散骨 納骨 有限会社 三幸社