海彦も、山彦も(再)

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学生時代、二人の田中君がクラスにいました
一人は、田中勝彦、サーファーで、
もう一人は、田中義彦、キャンパーでした
双子ではないのに、偶然、似たような名前、
サーファーの方は、海彦、キャンパーの方は、山彦、というあだ名になりました

千葉県、房総半島の先端、いつもそこに海がある暮らしと共に、三幸社はあります
この地で生まれ育ったわたしにとって、海はいつもそこにある存在、海彦に近い暮らし
ですから、自分が海に還るというのは、自分にとっても、家族にとっても、自然な流れ

でも、海とはあまり接点のない暮らしをしている、山彦な方、
あるいは、都会で育ち、海も山も、身近ではない方もいらっしゃいます
そんな方のためにも、お寺での納骨仲介サービス、
長年のお付き合いのご住職のおかげで、はじめることになりました

私自身の遺骨は、海に還してほしい、海を見たら、私を偲んでほしい、いわば、海全体が私の墓標
私の場合はそれで構いませんが、やはり、地に足つけた、偲ぶ拠り所が欲しい、という方もいらっしゃると思います
お寺に納骨していただければ、そこに、その方の生きた証と、残された方が偲ぶ拠り所が、のこります
ご住職に、ご供養もしていただけます
ありがとうございます

行き場のないお骨をなくす
海彦も、山彦も、

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埋葬と火葬

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家族葬の葬は、葬儀の葬
樹木葬の葬は、埋葬の葬
同じ葬の字でも、意味合いが異なるので、
ご葬儀で、しっかりと、故人とお別れをして
後々に負担がかかる埋葬については、納骨や、散骨、樹木葬を選ぶのも一つの解決方法

従来から、考えておりますが
厳密にいうと、
埋葬と、火葬も、ちょっと、一般的なイメージとは異なる意味があるようです
一般的には、
火葬して⇒埋葬する、というお葬式の流れが概念として我々の頭の中にありますが
法律的には、
「埋葬」とは、死体を土中に葬ること、で、
「火葬」とは、死体を葬るために、これを焼くこと
と明記されています
法律の中には
「埋葬又は焼骨の埋蔵」という言葉が出てきます
埋葬は、あくまで土葬であって、火葬したお骨は、「埋蔵」するもの、ということ
なるほど、今の日本でひろく行われているのは、埋葬、ではなくて、火葬後の焼骨の埋蔵、なんですね

粉骨 散骨 納骨 有限会社 三幸社

自発的に

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身寄りがない、身寄りがあるけれど、ご遺体を引き取れない
あるいは、身寄りや知り合いが、葬儀を上げたいのだけれでも、お金をかけられない、というときには、
国や自治体の出番です
そして、国や自治体は、法律によって、動きます
この場合、以下の3つの法律が関係してきます

・行旅病人及行旅死亡人取扱法(明治三十二年三月二十八日) 第七条
・墓地埋葬法(昭和二十三年五月三十一日) 第九条
・生活保護法(昭和二十五年五月四日) 第十八条

根底にある法律は、明治32年制定の「行旅病人及行旅死亡人取扱法」で
第七条 行旅死亡人アルトキハ其ノ所在地市町村ハ其ノ状況相貌遺留物件其ノ他本人ノ認識ニ必要ナル事項ヲ記録シタル後其ノ死体ノ埋葬又ハ火葬ヲ為スベシ
とあり、その当時としては、もしかしたら珍しくなかった「行倒れ」を想定して作られた法律のようです
端的に言えば、旅先で亡くなった人があれば、その、亡くなった先の市町村が、遺留物や身元の確認をし、埋葬または火葬しなさい、とのこと 今のように、物流が発達していない時代、ひとまず、亡くなった方がいたら、そこで埋葬、火葬をしなさい、ということと思われます

その次に定められたのが、墓地埋葬法、昭和23年
第9条 死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長が、これを行わなければならない。
2 前項の規定により埋葬又は火葬を行つたときは、その費用に関しては、行旅病人及び行旅死亡人取扱法(明治32年法律第93号)の規定を準用する。
旅人に限らず、死体の埋葬、火葬を行うものがいないときは、行旅病人及び行旅死亡人取扱法に準じて、死亡地の市町村長が埋葬、火葬をしなさい、という中身
火垂るの墓、という映画でも見られるように、そこに住み着いていても、身寄りがわからない方がたくさんいて、旅人、行き倒れの範疇に入らない人も、たくさんお亡くなりになったのかもしれません

その後、生活保護法が昭和25年が定められ
第十八条 葬祭扶助は、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して、左に掲げる事項の範囲内において行われる。
一 検案
二 死体の運搬
三 火葬又は埋葬
四 納骨その他葬祭のために必要なもの
2 左に掲げる場合において、その葬祭を行う者があるときは、その者に対して、前項各号の葬祭扶助を行うことができる。
一 被保護者が死亡した場合において、その者の葬祭を行う扶養義務者がないとき。
二 死者に対しその葬祭を行う扶養義務者がない場合において、その遺留した金品で、葬祭を行うに必要な費用を満たすことのできないとき。
と書かれています
最初の「困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者」は、お亡くなりになった方ではなく、その方の葬儀を出すべき、扶養義務者が、困窮している、というケースを想定しているようで、だからこそ、わざわざ、「扶養義務者がないとき、に、その葬祭を行う者があるとき」とあります
いずれにしても、この法律は、お亡くなりになった方の、ご葬儀を出したいという人がいる場合、ということになります

この3個の法律を、現在の状況に当てはめると、こういうことのようです
亡くなった方の葬儀を出したい人がいない → 墓地埋葬法(行旅病人及び行旅死亡人取扱法を準用)
亡くなった方の葬儀を出すと「手を挙げる人」がいる → 生活保護法

今後の問題は、この二つのケースで、自治体の負担の仕方が違うこと、
「墓地埋葬法」適応の場合は費用全額地方自治体持ち
「生活保護法」適応であれば、国が3/4 自治体が1/4
手を挙げる、というのは、「自発的に」ということで、この自発的、が、これから、テーマになる気がします

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不安の正体、孤独死が増える理由

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高校生、大学生の子供を持つ友人たちと話をしていて、ふと
自分たちが若いころ、自分たちの親は、こんなに、将来に対して不安を持っていたのかね?
という話になりました
もってなかったでしょ、たぶん

40年前と比べて、どうして、こんなに、将来が不安なんでしょうか

時代劇を見ていると、悪代官と、越後屋が、おぬしも悪よのう、なんて言いながら、民のお金を搾取して
民は貧困にあえぎ、飢えて死ぬような世界が広がり
そこを、黄門様やら桃太郎侍やらが、ズバット解決したり、
一揆をおこして、ええじゃないかと踊ったり(これは劇じゃないけど)

今も、おぬしも悪よのう、みたいな人がたくさんいると仮定して、、、
民が搾取され明日食べるものもない、と困れば、
一揆なり、なんなりが起きるところですが、
今まで、飢えて死ぬ、人が数百万人、ということにはなっていません(今のところは)
その違いは何か

政治家は、何十年も前に、搾取しても、文句を言わない相手を見つけたからです
それは未来の日本人
1975年あたりから、債権という名で、どんどん、未来の日本人から搾取して、入ってくるお金以上にお金を使って、そのうちのいくばくか、あるいは多くを、ぬふふふふ、おぬしもやるのう、、、なんて感じで、仲間内で懐に?
その未来が、今です

人間にも野生の本能が残っていて、この先に厳しい世界が待っていると、直感で感じて、
だから、結婚しない、子供がいない社会が始まり
人がいないから、家という概念や、地域のつながりが弱まり、
送ったようには送られない
ご遺体が行き惑う社会が、はじまったような気がします

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手漕ぎボートを漕ぐように

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「手漕ぎボートを漕ぐように
人は未来に入ってゆく」
フランスの詩人、ポール・ヴァレリー 
在宅医療に従事する医師の友人から聴いた言葉です
人生とは、来し方を見据えながら、背中越しに、先へ進む、手漕ぎボートのようなもの

ゆだねる家族がいなくなる
脱家族化・脱共同体化
送ってきたようには、送られない
死をどう扱うか、周囲の大人がどのようにふるまうか
その学びや、体験が出来ない社会に、私たちはいます

自分が生きて、そして死を迎える人生は、
自分が送ってきた死者とどう生きるか、と、ひと続き、ということです
生きたその先に死がある、それは誰も、生きているうちに体験できることではなく、
自分が生きてきた、過去を見据えながら、背中越しに、その先へ進む、

しっかりと、来し方を見据えながら、進むしかありません

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家族葬の葬と、樹木葬の葬(再)

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家族葬の葬と、樹木葬の葬、同じ葬の文字ですが、
家族葬の葬は、葬儀(そうぎ)の葬
樹木葬の葬は、埋葬(まいそう)の葬
できれば、しっかりと、ご葬儀をしてから、樹木葬、
あるいは、埋葬の一つの選択としての散骨を
葬儀の場で、ありがとう、と、心残りの無いお別れをしていただくことが
前向きに、粉骨、散骨をお選びいただくためには大切だと、常々感じております

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海彦も、山彦も

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学生時代、二人の田中君がクラスにいました
一人は、田中勝彦、サーファーで、
もう一人は、田中義彦、キャンパーでした
双子ではないのに、偶然、似たような名前、
サーファーの方は、海彦、キャンパーの方は、山彦、というあだ名になりました

千葉県、房総半島の先端、いつもそこに海がある暮らしと共に、三幸社はあります
この地で生まれ育ったわたしにとって、海はいつもそこにある存在、海彦に近い暮らし
ですから、自分が海に還るというのは、自分にとっても、家族にとっても、自然な流れ

でも、海とはあまり接点のない暮らしをしている、山彦な方、
あるいは、都会で育ち、海も山も、身近ではない方もいらっしゃいます
そんな方のためにも、お寺での納骨仲介サービス、
長年のお付き合いのご住職のおかげで、はじめることになりました

私自身の遺骨は、海に還してほしい、海を見たら、私を偲んでほしい、いわば、海全体が私の墓標
私の場合はそれで構いませんが、やはり、地に足つけた、偲ぶ拠り所が欲しい、という方もいらっしゃると思います
お寺に納骨していただければ、そこに、その方の生きた証と、残された方が偲ぶ拠り所が、のこります
ご住職に、ご供養もしていただけます
ありがとうございます

行き場のないお骨をなくす
海彦も、山彦も、

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三界萬霊塔に納骨していただけます

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今年は西暦2020年
母がよく言う、皇紀でいうと、2680年
縄文時代は、今から16000年位前に始まったそうです

仮に、20歳で子供を産んで、次の世代に命を引き継ぐと仮定すると、
2020を20で割って101世代さかのぼると、私の先祖はキリストの誕生に立ち会っているかもしれない
2680を20で割って、134世代さかのぼると、先祖は神武天皇に仕えているかもしれない
16000を20で割って、800世代さかのぼると、先祖は縄文土器なんか、造っているかもしれません

自分がここに存在しているということは、100代でも、800代でも、親の親の親の、、、とさかのぼれることを意味します
でも、次の世代に、自分の命が確実に引き継がれる保証は、ありません
若い頃に読んだ、利己的な遺伝子、という本によれば、DNAというのは、8人の甥、姪がいれば、理論上自分のDNAは100%、のちの世に引き継がれるそうですが、自分が一人っ子で、兄弟も、甥も姪もいないとなると、DNAを100%残すためには、いとこの子供が32人必要だそうです
いずれにしても、自分たちが弔い偲ぶ対象は、自分が命を授かった限り、必ずいるのだけれど、自分たちを弔い偲んでくれる血縁が、必ずいるか?というと、そうはいかない、社会になっています

三界萬霊
三界とは私たちが生まれかわり死にかわりするこの世界のこと
万霊とはありとあらゆる精霊のこと
三界万霊塔は過去から存在してきた、すべてのものを合祀するための碑
自分の祖先だけではなく、自分のDNAだけではなく、すべての命、霊を供養してくれる存在

長くお世話になっているご住職に、三幸社の「行き場のない遺骨をなくす」という思いにご共感いただき、
納骨のお取次ぎサービスを始めることになりました

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