PLAN75

75歳になったら、自分の生き死にを、自分で決められるようになる
そんなストーリーの映画が、もうじき公開されます
まだ観ていませんので、何とも言えませんが、
世の中の受け止め方は、「そんなつらい社会にはならないでしょう」という感じのようです
でも、日々、粉骨や散骨に携わり、実際に死にざまが、いかに千差万別化を見ていると
「確実に、そんな社会が来るよね」と、感じます

話は変わりますが、
以前、近くの病院で開催した、オランダにおける安楽死を取り巻く状況、というセミナーに参加しました
オランダでは、「要請に基づく生命の終焉ならびに自殺融助法」という法律が、2001年に制定されています

この、オランダの状況を聞いて、まさに、目からうろこ、だったのは
安楽死の議論とは、いかに幸せに生きてきたか、が問われるということでした
安楽死の議論は、そのまま、クオリティー・オブ・ライフの議論、ということ
オランダの例で言えば、住民すべてに、家族づきあいに近いような、近しい存在のかかりつけ医が存在し(自分のかかりつけ医はこの医師、と、政府に届ける義務がある)その医師と相談し、例えば、癌が進んで、治療をしても、回復の可能性が少ない状況になったとき、自分は十分に幸せな人生を生きたから、つらくて展望のない治療で残りの人生を費やすより、家族に囲まれて、今、健やかに自分の命を終えたい、と、家庭医と相談して、安楽死(尊厳死)を決める、ということでした

オランダでも、最初に安楽死の議論が起きてから、法整備まで、30年近くかかっています
そのうえ、安楽死に対する概念、もっと言えば、生きている時間を、何のために、費やすか、という価値観が、日本とは大きく違うように思われました

死にざまは、生きざま

今後、日本でPLAN75のような安楽死の議論が起きるときには、財政負担減と、生活苦と、高齢化が混じりあって、また、まったく違う観点で、やるせないといえばやるせない、でも仕方がないといえば仕方がない、話から始まりそうな気がします
生きてきた過去、過ごしてきた過去、は変えられないので、日本独自の、宗教観や人生観、人生の価値や命の価値、家族の在り方や医療の体制に基づいて、独自の、考え方が求められてゆくことになります

どんな人にも訪れる死を、
その時、生きている人がどう捉え、どう扱うか

この映画が発端となって、議論が起き上がるのは賛成です

粉骨 散骨 納骨 有限会社 三幸社